2008-09-09(Tue)
前回からの続きです。
まず、心に留めておきたいことは、
「感情」と言うものは、あなたが、意識してあるいは、意図的に
発生させているものではないと言うことです。
つまり無意識が、関係しているのです。
だから、人を憎むと言うことは、「良い」「悪い」という判断
を下すものではないのです。
他にもうらやんだり、逆に軽蔑したりといった
感情も例外ではありません。
しかしこの感情に振りまわされないようにすることが、必要です。
「自分の中には、こういう感情がある」と言うことを
意識して見ましょう。
具体的に誰を、何がきっかけで、どういった感情を持つに至ったか」
を書いても良いでしょう。
感情に振り回されてしまう人は、意外と自分の感情に気づいていません。
逆に、嫌いなのに愛想を振りまいたり、憎いのに親切にしたりします。
自分の感情を常に整理整頓して置くことが大切です。
感情の発生は、「不可抗力」です。
いわゆる、常に心がけていても、ゴミ箱にたまる ごみのようなものです。
きちんと整頓して、カテゴリー別に分類して、いつでも、何らかの状況でさっと
取り出せるように、すっきりさせておきましょう。
2008-09-07(Sun)
よく「気の持ちよう」という言葉を聴きます。
感情は、誰しも「持ちたくてもてるもの」ではないのです。
たとえていえば、産まれた子どもを
「この子どもは、不都合だから、生まれなかったことにしよう」
と言うことは出来ません。
自分の中に、なんの断りも無く発生するのが「感情」です。
気の持ちようで怒りや悲しみをセーブできるなら
苦労はいりません。
だから、自分の感情を
「あってはならない」と思うのは、不自然なのです。
まず、その感情を「肯定」し「受け入れることです。」
例を述べると
子どもを感情的につい叱ってしまう場合
どうして自分は、こんな風に怒ってしまうんだろうか?
こんな風に、子どもが、おびえて、泣き叫ぶほど
しかりつけることに意味があるのだろうか?
こんな風に叱ったら子どもは、私のことをどう思うだろうか?
私が子どもの頃、こんな風に叱られて
親にどういった感情を持っただろうか?
とことん、考えることです。
そして自分は、どんな風に子ども接するべきなのかイメージしてみます。
今度は、こんな風に言い聞かせてみようと考えます。
多分そういう風に何度もイメージしているうちに
変わってゆくと思います。
2008-08-20(Wed)
「感情」とはどういったものでしょうか?
よく「気の持ちよう」という表現がありますが、
どんなに前向きに考えようとしてもうまくいかない場合があります。
子育てによく「叱らない子育て」といったものもあります。
もちろん感情的にならないに越したことはありませんが、
皆さんは、「意識的に」「怒ろう」とか「楽しいと思おう」とするでしょうか?
感情は、意識的に発生するものではありません。
何かをきっかけに自分の意思にかかわらず「発生」するのです。
同じような状況下で「感情的になる人」と「ならない人」がいます。
それは、人によって「生まれ持った気質」であったり
育ちの段階で、経験的に、刷り込まれた、ある状況へ対する
感情的な反応であったりするのです。
だから、「子どもを叱らないで育てよう」と決心しても
無意識に発生する怒りの感情は、どうすることも出来ません。
そして、感情を抑圧していると「爆発」してヒステリックになったりします。
子どもを叱らない育て方が出来る人は、
本質的に「怒りの感情」があまり発生しないか
育ち的に、怒りの表現が穏やかなのだと思います。
だから、怒りっぽい人には、「叱らない子育て」というのは、
かなり無理があります。
つい「感情的」に子どもを叱ってしまう場合自分自身の育ちの記憶をたどって
自分が、どんな風に親に叱られたか考えてみると自分の
子どもへ対する感情の発露を知ることが出来ます。
感情を抑圧するのではなく
「そうだなあ、自分もこんな風に叱られて、親に憎しみの感情を
募らせていたんだなあ」と考えると
感情の「暴走」をセーブできたりします。
負の感情を「持ってはいけない」と考えて抑圧するのではなく
その感情が何故引き起こされるのか?
を考えてることが大切だと思います。
そして、人それぞれですから、多少自分が感情的だからといって
自分を卑下したりせず、それも持ち味くらいに考えて
気楽に「子育て」したほうがよいと思います。
2008-08-17(Sun)
子育ての講座、講演会は常ににぎわっています。
講演会がおわると、講演者に子育ての悩みを相談する機会が与えられると
われもわれもと手を上げます。
そういった。「悩み」に対して
ズバズバと回答する方は、あまり信用できません。
ズバズバ回答されると「すごい!」と
思うかもしれませんが、
どうすれば子どもをよく育てられるか
「回答」がすらすら語れて、それで問題が、本当に「解決」するのなら
どうして、いつになっても 書店にあふれんばかりに「子育て本」が並び
子育てに悩むお母さんが、蔓延するのでしょうか?
子育てに悩む方は、
講演会に行ったり、子育て本を熟読するよりも
子どもを、しっかり観ることです。
子どものことを「わかろう」と努力することです。
本に書かれている「子ども」ではなく
自分の子どもです。
どんなときに笑うのか?
何故泣くのか?、何色が好きなのか?
理由なんて考えなくてもいいんです。
そして一番大切なことは、
「子どもを良い子に育てよう」とか「すばらしい子ども」「才能のある子ども」にしようとか
気負わないことです。
子どもが、どう育つかは、すでに子どもの中にあります。
だから「どう育てるか」悩まないで
この子は、どんな風に育ちたいんだろう
と知ろうとすることです。
2008-08-10(Sun)
「依存症」というとアルコールや薬物を連想しますが、
こういった依存症はわかりやすいし第3者からも発見できます。
しかし「え?それが依存症?」と思うでしょうが、
「仕事」 「ボランティア」や「宗教」または、いろんな「活動」を積極的にしている方の中に
そういった活動に「依存」している人もいます。
アルコール依存と違って、第3者からは、「立派な人」
と言われながら、実は、「依存」している場合があります。
毎日多忙なスケジュールで、いろんな活動をこなしながら
子どもたちに対しては、
「自立心を育てる」と言った名目で
殆ど「ネグレクト」状態の場合があります。
親にきちんと「しつけ」られることもなく
暖かい食卓を囲むことも無い
愛情飢餓に陥り、こういった子どもたちが
「薬物」などに依存してゆきます。
もしも「私の両親は社会的に立派な人なのに
どうして私は、こんなにダメな人間なのかしら」
と感じる方がいたら、
親は、もしかしたら「依存症」じゃないかな?と考えてみてください。
家族より、子どもの一大事より、
「仕事」や 「宗教」 「ボランティア」を優先するようなら
多分「依存症」です。
また、あなたが、いろんな活動をしながら
子どもの世話や家事などが「おっくう」になり
子どもを他人に預けがちになったり、外食やインスタント食品
をやたら使うようになったり、家の中が雑然としてきたら
ちょっと立ち止まって考えてみてください。
みんなから「がんばってるね」「すごいね」
という言葉に「依存」していませんか?
評価されることに、一生懸命になっていませんか?
子どもは、親が、社会的にどう評価されるかではなく
どれだけ、自分の世話をしてくれるかが
「愛情のバロメーター」になるのです。
今はさみしい思いをさせているけど大きくなったら
私がしていることが、どんなに「立派なこと」か
きっとわかってくれるわ、と思っている方は
大きな勘違いをしています。
もちろん、理性では、親を「誇り」に思うでしょう。
でも、心にしみこんだ「愛情飢餓」は、消えないのです。
もちろん、「依存症」でない方は、活動もほどほどにしながら
家族の世話も嬉々として、こなしているでしょう。